父の不運な過去の話し

鎌倉編・昭和の記憶

父連続不運続き                    

  「生まれた家が貧乏の子だくさん」でした。幼い頃から苦労の連続でした。                                   

奉公に行かされた幼少期

子供達は男は職人へ丁稚奉公、女は子守り奉公に10歳前後から行かされた。                                それも、頑張った本人は無給。子どもたちを食い物にしていた時代でした。                                                                     

 嫌で泣きながら家に帰ってきても、また奉公先へ連れて行かれたそうです。
実家では「食い減らし」だったため、逃げ場はありませんでした。

  父や兄も職人の道へ進み、父は桶職人、兄は竹かご作りの篭屋でした。
人格などなく、ただ働かされるだけの毎日。

見習いは5年〜10年、そのうえ「お礼奉公」までありました。
今から考えると、物凄い無茶ぶりです。                                                                      

今で云うと労働基準法違反ですが昔はなかった。                                 嫌で家に泣きながら帰って来ても又奉公先へと                                                                       

 奉公先では仕事を教えてもらえず、朝から晩まで怒鳴られ、
「馬鹿野郎、馬鹿野郎」の大安売りだったそうです。

母はよく父に言っていました。
「いつも子ども達に馬鹿の大安売りだ!可哀想ではないか!」                                                                                                                                 

                                                                           

嫌で逃げ場所はなかった。との事です。                                     奉公人制度がなくなったのが戦争終了後だった。

                                                                    

                                                                                     

俺の哲学だ                                                                

☆馬鹿野郎が俺の教え方だ!いけないのか!                                        父はよく言っていました。

何かというと怒鳴られ、怒られる。
数年間、毎日怒鳴られて、やっと一人前。
精進あるのみ。                                                                        

「よく見て仕事を覚えろ」と言われましたが、実際は“こま使い”でした。

今は見本を見せて教えるのが当たり前ですが、
当時は労働基準法もなく、逃げ場もありませんでした。                                                                                                         

                                            

                                                                                                                   

父は甲種合格で兵隊へ行き、約3年の軍隊生活を送りました。

そこでは毎日、上官からの制裁で10〜20発殴られるのが当たり前。
ある日、最後に入った風呂で上官の石鹸を使っただけで、
50〜80発殴られ、顔が変形したようになったと言います。

名ばかりの軍隊で、いじめが横行。
嫌で嫌で、自殺者が続出したそうです。

子どもの頃、父はよく軍隊の話をしてくれました。                               

                                                                                

                                                                            

      武器よさらば。
みんなで手をつなぎ、平和の輪を広げたい。
犠牲になる人を、もう増やしたくない。
それが、父の人生を見てきた私の願いです。

                                                                          

人生の春が来たかと思えば束の間

                                                                           戦後、やっと落ち着いて結婚しましたが、
奥さんは料理屋をやっており、調理人と浮気。
二人で博打三昧だったようです。

その奥さんは脳卒中で亡くなり、
数年後には借金のかたに家財を没収されました。

この時の話は、父は詳しく語りませんでした。
よほど辛かったのでしょう。                                     

                                                                       

新たなる人生・旅立ち

 その後、父は母とお見合いで結婚し、私たちが生まれました。

しかし、物心ついた頃から“ナイナイ尽くし”。
金がない、家財道具がない、服がない、食べ物がない。

そんな苦労も、今では良い思い出です。
もっと貧しい人もいたので、「ウチだけじゃない」と安心したものです。                                

父と母からの教訓

  父と母から教わったことは、今も心に残っています。

  • 頭を使え
  • 強くなれ
  • 見栄を張るな
  • モノを粗末にするな
  • 壊れたモノは修理しろ
  • 目と耳の間で考えろ
  • 贅沢やカス云うな
  • 他人に依存するな
  • 馬鹿とハサミは使いよう
  • なければ無いように何とか考えろ

そして最後に必ず言うのが「モッタイナイ」。
父も母も、口癖は「モッタイナイ」でした。                                                                    

                                    

                    

                          

                                                              

                                                                   

                                                                       

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