平和80年の日本で忘れられた生きる力と   「モッタイナイ経」

鎌倉編・昭和の記憶
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                                               日本は80年もの間、奇跡のように平和でした。

しかし世界では、今もどこかで争いが続いています。                                 テレビに映るのは瓦礫の山、破壊された病院や学校逃げ惑う市民達.                        

平時には「命の尊さ」を語るく国々が、                                戦時にはその尊さを微塵も感じさせない程の破壊を続ける。                             その矛盾を見るたびに・・・私は思います。

鎌倉長谷寺

「もし日本だったら・・・」と

子供たちに過去の話をすると「昔は昔でしょう」と笑われることがあります。                                   井戸水,薪で沸かす風呂、洗濯板、直して使う暮らし、                                彼らにとっては想像もつかない世界でしょう。

しかし長い歴史を見れば人類は常に争いを繰り返してきました。                             平和が当たり前だった時代など、存在しません。 

だからこそ私は昭和の暮らしの中で育まれた・・・生きる力・・・を、                         今の子供達に伝えたいと思うのです。

モノを大事にする心、工夫する力、我慢する力、感謝する心、                      それらはすべて、私が親から受け継いだ「モッタイナイ経」の教えでした。

                                                                           

                                       

昭和の暮らし①モノがない時代の工夫

モッタイナイの気持ちを大事にする。                                  私がまだ子供だった頃、両親は何でも

「モッタイナイ」を連呼していました。時代が古いのかもしれないが・・・                                  立場が変わり親になって口癖の様に子供達に云う様になった。

今はモノがあふれている時代である。昔はナイナイ尽くしであった。

お金・モノ・食べ物すべてが・・・なので物を大事にする風潮であった。                        そして壊れたモノは直して使用していいたのだ!

お茶碗が割れた!パテや接着剤の様なもので修理し使っていた                           服類は母がよく裁縫をしていた。                                         

布団や座布団等は1~2年ごとに中身の綿を                                   買い打ち直しをしていた。冬は子供達が寒かろう~

綿入りのハンテンやどてらを裁縫で作っていた。                                いらなくなった綿類は最後には雑巾にをしていた

昭和の暮らし②家事の苦労と家族の知恵

電気洗濯機のない頃、洗濯は洗濯板とタライで洗濯していて                                 ゴシゴシと力を入れると生地が傷むと云ってはサラサラと                                

洗い汚れの強い箇所だけモミ洗いをしていた。                                そこまで大事に扱っていた。

※母の時代は嫁入り修行として洋裁・和裁の学校へ                               親が行かせていたそうです。何も出来ななくてもいい、                                裁縫は最低出来る様にと・・・

ついでに母の逸話だが電気洗濯機を購入し                                   家に届いた時の満面な笑顔を今でも思い出す。

ガスがなかった

今では当たり前だが、ガス類がなかった、                                   なのでお風呂や御飯焚きは木をくべて炊いていた。

その為に裏山に行き倒れた木やどこからかもらってきた                                木を切ったり、巻き割りを手伝っていた。

巻き割りをした木を日向に干して、束ねて保存していた。                              それを風呂や御飯焚きに使用していた。

水道もなかった。

井戸である。押しで水を出してバケツや桶に                                 入れて水を汲みだしていた。

それを利用していた。家の中の数か所に水を入れた                               入れ物に張っていた。

その時に水も大事にしなければならない、と忠告されていた。                               嘘みたいだがホントの話しである。

小学校に入学した時に水道がビックリした事を思い出す。                                  蛇口を右へ左どちらかに回すと「エ~水が出た!」

電気製品もあまりなかった

そして電気製品が照明器具、それも薄暗い10ワット(便所の)                         30か40ワット台所と居間、それにラジオくらいだった。

小学5年くらいの時にテレビを購入してくれた、                                        近所の人たちが見させてください。と云っては                                少しの期間うちに見に来ていた。

昭和の暮らし③テレビが家に来た日の衝撃

それからはテレビのチャンネルの取り合いの喧嘩をしていた。                             子供達は漫画、両親はのど自慢や歌番組、                                   

年の離れた兄は西部劇や刑事モノ、と親や兄には                              「ウルサイ」と云われ見せて貰えないので                                   よく泣いていた事を思い出す。

当時は今の様にリモコンではなくチャンネルのツマミを手で回していた。                         よくそのツマミを足の親指と人指し指で挟み回して

足癖せ悪い

チャンネル交換していた事をみつかり                                            「何で足指で回すんだ、壊れたらどうするんだ!」と怒られた。                          そして頭や背中を叩かれた。

それが癖になって見つかってはよく叱られ叩かれた。                                   思いっきりではなかったのでついついである。

今は薄型であるが昔はブラウン管テレビで6,70センチ位の                            大きさで4本の脚がついていた。そのテレビの前で家族全員で懸命に見ていた。

人気番組ドリフターズ

大ヒット番組で「8時だよ全員集合!ドリフターズ」                                通っていた学校で見てはいけない、と禁止令が出たほどである。                             

でも先生は一軒づつ見回りに行けなかった。コントが楽しかった。                          人気のギャグが何かと使用してはみんなで大笑いしていた。                        くだらない程、流行っていた。

世界の争いと昭和の暮らしとの結びつき

世界では今も争いが続いています。                                          だからこそ私が育った何もない時代の暮らしには                                 現代の子供達が失いつつある生きる力があったのだと思う

娘達に伝えたい「モッタイナイ経」

  • 娘達にモノを大事にする。
  • モノは壊れたら修理修繕する。
  • なければ無いように考える。
  • 流行に流されない。
  • 何でもそうだが貸し借りはしない。
  • 買った品物はみんなゴミになる。
  • モノが沢山あっても幸せにはなれない。
  • 感謝と謝罪は忘れない。
  • 楽しいばかりではなく、つらい事もある我慢

時代によって違う事が多いと思うがよく                                   考えて行動してもらいたい。

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