

母の最初の結婚と苦労
母は最初、大工さんと見合い結婚をしました。
最初は優しかったそうですが、段々と慣れてくると態度が変わり、子宝にも恵まれたものの、お酒を飲むと暴力と罵声を浴びせるようになりました。
さらに姑と同居していたため、母は「子供は置いていけ!」と言われ、我が子でありながら連れて行かせてもらえなかったそうです。
当時は亭主関白が当たり前で、女性は夫の言いなり。
離婚して実家に戻ると「出戻り」と言われ、悪いのは女という風潮。
母は実家にいても肩身の狭い思いをしていたと聞きました。
父との再婚と新しい家族
そんな時に父と出会い、再婚同士の祝言を挙げました。
当時は再婚に対する偏見も強く、母は相当な覚悟だったと思います。
母の姉妹や兄弟から聞いた話では、嫁に行く前と実家に戻ってきた時の母の変わりようはひどかったそうです。
笑顔が全くなくなり、とても辛い体験をしたのだと感じます。
その後、私たち兄弟と両親の6人での貧乏生活が始まりました。
今思うと、貧乏でも楽しい我が家でした。叩かれ、怒られ、笑い、泣き、浮き沈みのある日々でした。
母の強さと優しさ
母にはよく叱られ、悪さをすると追いかけられました。
まるでダンプカーのような勢いの母でしたが、よく笑い、子育てに全力でした。
女性にとって子育ては良いことも悪いことも含めて「生きがい」なのだと、今になって分かります。
母はとても幸せそうでした。
両親から教わった言葉
母からよく言われた言葉があります。
「子を持って初めてわかる親の苦労」
本当にその通りです。
父からは、
「茄子の花と親の意見は千に一つの無駄がない」
耳の痛い話は、子供のことを思っているからこそ。
父は間違ったことは言いませんでした。
私が風邪をひいて熱が出た時、父は自転車の後ろに乗せて病院に連れて行ってくれました。
その時の温もりは今でも覚えています。
ヤンチャだった頃の思い出
13〜14歳の頃、家の中だけでタバコや酒を許してもらいました。
あの時は何かとても嬉しかった。
父からはもう一つ、こんな言葉も。
「○ん○んはオシッコばかりの道具じゃない。大事にしろ。」
母からは優しさと思いやりを教えてもらいました。
怖かったけれど、人にはこうしなさい、といつも教えてくれました。
思い出すたびに涙が出そうです。
本当によく面倒を見てくれました。
小さく見えた両親
子供の頃は大きく見えた両親も、自分が大人になり中年に差し掛かる頃には、段々と小さく、子供のように見えるようになりました。
生きているうちにもっと感謝すれば良かった。
亡くなってから、その思いが胸に込み上げてきます。
失って初めて気づく偉大さ
両親が他界してから、失って初めてその偉大さと、立派に育ててくれた感謝の気持ちでいっぱいになりました。
丈夫な身体を作ってくれたこと。
生活の知恵を教えてくれたこと。
愛情を注いでくれたこと。
世話になっている頃は何も考えず、わがままし放題でした。
亡くなる寸前まで私が面倒を見ましたが、4年間の介護は、両親が私に注いでくれた苦労には到底及びません。


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